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11 Dec 2018

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Question about Japanese

ファイナルプロジェクトを修正してくれませんか。長くてすみません。1200文字ぐらいです。

 ファイナルプロジェクトで洋風画を調べた。洋風画というのは江戸時代の西洋的な美術だ。よく言われているのは「江戸時代は鎖国」ということだ。 明治時代から西洋の影響が急に受け入れて、服や食べ物や文化が早く変わった。しかし、その前に文化交流がなかったから日本の芸術が発展したことが教えられている。
 鎖国の例外はオランダ人、ドイツ人、スウェデン人、ノルウェー人などが住んでいた出島だった。出島があっても、文化交流が小さかったと考えられている。しかし、右側の絵画を見るだけでそれが間違っているがわかるはずだ。1825年ぐらい川原慶賀に書かれた。西洋的な遠近法があるし、額入りのようにフレームが描かれている。

 腐食銅板とキアロスクーロとフレームが輸入された。腐食銅板とは銅板に刻み込むことだ。その腐食銅板からたくさんプリントができるので、そのプリントが安い。右側の絵が司馬江漢によって腐食どうばんだ。西洋的なフレームがある。キアロスクーロとは3次元の姿を表すように明るい光と暗い影を使うことだ。柔らかいけど北斎の「くだんうしがふち」でみられる。

 その技術が影響を与えたけど、一番影響を与えたのは西洋的な遠近法でした。江戸時代に遠近法を使う作品が室内のシーンをよく表した。なぜかというと、日本の建物ではたくさんの線があるから、遠近法のガイドになる。下の奥村政信のプリントでは、内室で遠近法が西洋的だけど、建物の線がない外で遠近法が日本風だ。

だから、遠近法はよく夜遊びを表した。そのために江戸の常民に人気があった。プリントが安い理由もあった。その結果は、洋風画は遠近法で定義されて、常民向けの低級のプリントとつながっていた。だから、エリートによく蔑視された。

 美術の技術以外に美術に西洋の影響がみられる。例えば、しま模様の生地がインドと東南アジアから輸入された。しま模様の服が江戸時代に大変多かった。1765年ごろの「風俗四季歌仙・水無月」の浮世絵の作品でその着物が見える。

鎖国の言説がよく教えられているのに、江戸時代の美術に文化交流がみえる。西洋の影響を無視することは二つの原因があると思う。まずは、江戸時代にも西洋的な美術が高級ではないと考えられていたから、日本の芸術に含まれていない傾向があったかもしれない。二つ目とは国家主義の感じから来る。純粋の日本文化に誇りを守る傾向があると思う。だから日本文化が発展した江戸時代にの西洋影響を無視している。

 「言葉の力」の読み物では、言葉は人間の経験の反映のメッセージがある。しかし、言葉は反映だけではない。言葉は作られている。いつも完璧な反映というわけではない。その通り、国のアイデンティティーが歴史を反映するのに、人間に作られている。伝統的な日本文化が純粋というアイデンティティーが悪い結果がある。一つの例が単一民族国家の言説だ。その結果を認めて、歴史を反映するようにアイデンティティーを再考する法がいいでしょうか。

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