Question
30 May 03:16 PM

Closed question
Question about Japanese

「笑われる」という枷を捨てろう
「こんにちは。何年生ですか」と聞くと、
「三年生です」と答えてくれたが、そこで会話が途切れてしまった。
今年の大学の交流会でのことであった。友好学校の中国語研修班を迎えて、交流会が行われた。参加する前からわくわくとしていた私が、会場に行ったら、日本から来た学生に、結局何も言えなかった。不安になった私は、中国人同士に見知る人のように話しかけた。私だけではなく、気まずさを隠すためか、中国人の学生も、日本人の学生でも、皆同じ国の学生と話してばかりいた。日中学生間のコミュニケーションを目的とした交流会が別々の交流会になってしまうのだ。
違和感が湧いてきた。中国人には自然に話しかけることができるのに、日本人だとできないとは。その時、自分の中で、見えない壁があったということに気がついた。
「このままではダメだ。交流会だから、会話しなきゃ」と決心した。隣の男の子がずっと黙ったまま座っていたので、勇気を出して話しかけた。
しかし、会話が続けられなかった。「日本での大学生活」や「南京に来てからの感想」など、もっと日本のこと知りたいのに、「もし変な言葉を使ってしまったら恥ずかし過ぎる」と焦って、うまく言葉にできなくて何も言えずに、時間だけが流れてしまいました。
沈黙で気まずい。なんとか話そうと思いながら、また会話にチャレンジしてみた。会話を盛り上げようと思って、南京のグルメを紹介した。うまく伝わるか心配だったが、写真を見せたり、ジェスチャーを使ったりして、なんとなく分かってくれた。会話が進むうちに、相手もだんだん興味が出たようで、「美味しそう!どこのレストランですか」と期待する顔をしていた。こうして、楽しくコミュニケーションがとれて、最初の気まずさも段々なくなって、距離が縮まっていた。2時間という短い時間だったが、いい思い出になった。
交流会が終わると、相手からメッセージが来た。
「美味しかった!教えてくれてありがとう」
この交流会を通して、日本人の学生との友情が生まれた。今まで初めてのことであった。これをきっかけに、今まで心の中に存在していた壁も破られていたようだ。よく考えてみれば、自分も外国人に話しかけられたことがある。その時の自分は、相手の拙い中国語に、全然嫌な感じなんかしなかった。私から見ると、一生懸命話してくれたので、こっちは一生懸命聞かないと、という感じしかなかった。日本人の学生は多分同じ考えで話を聞いてくれたと、勝ってに思った。
元はと言えば、コミュニケーションでは、文法よりも、あきらめずに伝えようとする意欲が大切ではないだろうか。以前、友人を交流会に誘った時に、「日本語が間違うと恥ずかしいから」「もっと上手になれば参加する」などと言って、なかなか参加しなかった。確かに、うまく言葉が出てこなかったら、恥ずかしさを感じるかもしれない。しかし、専らに完璧な日本語を求めようとすると、逆に自分が自分に枷に持たせる。
「言葉は通じなくても心は通じる」という言葉がよく言われる。つまり、アイコンタクトを取ったり、ジェスチャーを使ったりして、心が通じ合えたら、言語という壁を越えられるという意味である。日中間の交流は、もさにこの通りだと思う。
今年は日中青少年推進年で、日中関係の新しい時代に、若者である私たちは未来の両国関係にとって重要な影響を与えられると言えるだろう。青少年交流において、近年、交流会などのプログラムが増えている政府間の努力も重要だが、若者が積極的に一歩を踏み出すのも重要だと思う。私たちは、まるで一つ一つの星のようだ。無数の小さな星が集めれば、その輝きは空を照らされる光になるだろう。
does this sound natural?

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