多様の例文や意味・使い方に関するQ&A
「多様」を含む文の意味
Q:
多様化 とはどういう意味ですか?
A:
助かります
Q:
多様化 とはどういう意味ですか?
A:
diversificazione
Ci sono vari studenti, sia buoni che cattivi.
(Mi scusi, non so ancora parlare bene l'italiano)
Ci sono vari studenti, sia buoni che cattivi.
(Mi scusi, non so ancora parlare bene l'italiano)
Q:
多様性は美しい とはどういう意味ですか?
多様性は美しい とはどういう意味ですか?
A:
It's grammatically correct. Meaning diversity is beautiful. ですが日本人はあまりそうは言いません。多様性がある事は美しい、の方が自然かも知れません。多様性がある事はよい事だ、とすればとても自然です。
「多様」の類語とその違い
Q:
多様な と 様々な と 色々な はどう違いますか?
A:
「多様」は「たくさんの種類があること、同じではないものがたくさんあること」
私は、「様々な」「色々な」は普段同じように使っています。
「色々な」は口語的、「様々な」は文章で書く時など、丁寧な表現です。
「様々」は「ある物にいろいろな形・種類のものが見られること」
決まった言い方があります。他の言葉と置き換えできません。
「多種多様」
「色々とありがとうございました」
私も勉強になりました。お役に立てれば幸いです。
私は、「様々な」「色々な」は普段同じように使っています。
「色々な」は口語的、「様々な」は文章で書く時など、丁寧な表現です。
「様々」は「ある物にいろいろな形・種類のものが見られること」
決まった言い方があります。他の言葉と置き換えできません。
「多種多様」
「色々とありがとうございました」
私も勉強になりました。お役に立てれば幸いです。
Q:
多様 と 様々 と 色々 はどう違いますか?
A:
they mean variation and diversity.
多様(tayo)is most formal.
様々(samazama)is a little bit formal.
色々(iroiro)is casual.
多様(tayo)is most formal.
様々(samazama)is a little bit formal.
色々(iroiro)is casual.
「多様」についての他の質問
Q:
多様な言葉を知りながら(知った上で)、多彩な文化を表現できるし、私たちの文化に触れることです。
I want to say "Knowing different languages allows us to give expression to different cultural identities and it keeps us in touch with our heritage." この表現は自然ですか?
I want to say "Knowing different languages allows us to give expression to different cultural identities and it keeps us in touch with our heritage." この表現は自然ですか?
A:
様々な言語を知ることで、多彩な文化を表現できるし、文化に触れることができます。
I want to say "Knowing different languages allows us to give expression to different cultural identities and it keeps us in touch with our heritage."
I want to say "Knowing different languages allows us to give expression to different cultural identities and it keeps us in touch with our heritage."
Q:
多様な事業に携わっている貴社グループ全体の強みを活かし、もっと大きな範囲のお客様にリースサービスを提供するために取り組みたいです。
経済の巨大化・グローバル化により、資金の不足や税金・管理面の難点などの問題で物を直接所有するよりリースでの使用を求める要望が増えています。従って、リースサービスの提供範囲も幅広く成長しています。
そんな面において、グローバル的なネットワークを持っている大手グループに属している貴社は、お客様に寄り添った、他社よりも幅広い、専門性のあるサービスを提供できるものと思います。
私は、大学院の商法セミナで活動しながら培ってきたリース業に対しての法律知識、また新しい目標にどんどん挑みかける「パイオニア精神」と現状を観察し、先行きを読み取る「分析力」を持っています。もし私が貴社に入社することができましたら、それらの知識・適性を元に、貴社の持つ膨大な物的・資本的ネットワークを活用し、もっと多くのお客様にリースサービスを紹介し、マーケットを広めるために取り組みたいと思っております。 この表現は自然ですか?
経済の巨大化・グローバル化により、資金の不足や税金・管理面の難点などの問題で物を直接所有するよりリースでの使用を求める要望が増えています。従って、リースサービスの提供範囲も幅広く成長しています。
そんな面において、グローバル的なネットワークを持っている大手グループに属している貴社は、お客様に寄り添った、他社よりも幅広い、専門性のあるサービスを提供できるものと思います。
私は、大学院の商法セミナで活動しながら培ってきたリース業に対しての法律知識、また新しい目標にどんどん挑みかける「パイオニア精神」と現状を観察し、先行きを読み取る「分析力」を持っています。もし私が貴社に入社することができましたら、それらの知識・適性を元に、貴社の持つ膨大な物的・資本的ネットワークを活用し、もっと多くのお客様にリースサービスを紹介し、マーケットを広めるために取り組みたいと思っております。 この表現は自然ですか?
A:
・専門性のあるサービスを提供できるものと思います。
→専門性のあるサービスを提供できるものだと思います。
・私は、大学院の商法セミナで活動しながら培ってきたリース業に対しての法律知識、また新しい目標にどんどん挑みかける「パイオニア精神」と現状を観察し、先行きを読み取る「分析力」を持っています。
→私は、大学院の商法セミナーで活動しながら培ってきた、リース業に関する法律知識、また新しい目標に挑みかけるパイオニア精神、そして現状を観察し先行きを読み取る「分析力」を持っています。
→専門性のあるサービスを提供できるものだと思います。
・私は、大学院の商法セミナで活動しながら培ってきたリース業に対しての法律知識、また新しい目標にどんどん挑みかける「パイオニア精神」と現状を観察し、先行きを読み取る「分析力」を持っています。
→私は、大学院の商法セミナーで活動しながら培ってきた、リース業に関する法律知識、また新しい目標に挑みかけるパイオニア精神、そして現状を観察し先行きを読み取る「分析力」を持っています。
Q:
多様性から日本人論にいたる、自分自身の道筋について。
―私の興味関心と日本学研究―
キーワード: 異文化 多様性 外国語 ステレオタイプ
私の研究テーマは「ステレオタイプから日本人論にいたる、自分自身の道筋について」 です。動機文でそのテーマを選んだ理由について論じたいと思います。
子どもの頃から、私は、目新しくてそれまで知らなかったものすべてに関心を持ってきました。好奇心の強い子供だったから、ドキュメンタリー映画や異文化についてのテレビ番組が好きでした。毎回、このようなテレビ番組を見ていたら、様々な現実や文化を知ることができました。私の一番好きなテレビ番組は「Alle falde del kilimangiaro」という番組でしたが、母と一緒にみたものです。世界各地で撮影された旅行ドキュメンタリーを紹介していました。このテレビ番組のおかげで、日本語に出会えました。「Alle falde del kilimangiaro」という番組で、毎週外国語のゲームがありました。そのゲームでは、いろいろな外国語の母語話者が母語で同じセンテンスを言って、視聴者は受賞するために、どんな外国語かが理解しなくてはいけませんでした。今も、そのゲームで日本人が話していた事を鮮明に覚えています。日本語の音は優しくて甘い響きだと思いました。実は、私の外国語にある興味が中学の終わりから生まれるかもしれません。中学でフランス語と英語を勉強しました。高校を考えた時に、さまざまな種類の高校がありました。私は外国語系の高校に通いたかったのに、科学系の高校に決めてしまいました。私の町に外国語系の高校がなかったからです。科学の科目も好きだったから、結局は満足しました。英語とフランス語しか話せませんでしたが、他の外国語も調べたかったです。そのため、大学で日本語の勉強をはじめました。言語を勉強するということは、言葉や文法を暗記するだけでなく、その言語を話している人口の文化、生活、考え方、伝統について知ることを意味します。言語を勉強すれば、人々を深く理解することができます。母のおかげで、異文化に関心が強くなっていました。実際に、母は高校の地理学の先生だけあって、様々な国の特徴に詳しいです。そこで、母は私にいろいろな教えてくれて、ますます異文化の関心が強くなりました。異文化に関心を持つおかげで、異なる文化を尊重し、寛容になることを学びました。一般的に、子供の頃から私は文化の違いだけでなく、人々の違いにも興味を持っていました。例えば、そのころのクラスメートの家族と私の家族を比べると、私の家族はずいぶん違いました。4歳に、私の父がなくなてしまいました。では、私の家族は普通の家族ではありません。毎年、父の日のために、学校でプレゼントを作ったものですが、私は父にあげられません。そこで、私は兄にあげたものです。誰にもその理由で嘲笑しませんでした。でも、友達より自分が違ったと感じました。それから私は育って、強くなりました。 もちろん、自分の経験のおかげで、多様性がいかに重要か分かりました。実際に、 違いは私たちの共通の唯一のものだと思います。しかし、私たちが何かを理解していないとき、このことを形作ろうとします。たくさんの違いがあるから、複雑さを単純化しようとします。これは、ステレオタイプの生まれ方だとおもいす。日本の文化は自分とはかけ離れた世界のように感じました。だからこそ、日本のことをもっと詳しく調べたくなったのかもしれません。確かに、日本の歴史や文化や社会をイタリアのものと比べると、たくさんの違いがあると思います。しかし、一番面白いのは、まさにその違いを知ることだと思います。私の友達や日本語を学んでいる学生からは「日本人はとても特別だ」ということをよく聞きます。ほかにもイタリア人はいつも遅く来るという思い込みや、アメリカ人はいつもドーナツを食べているという先入観のようなものも聞いたことがあります。それらはステレオタイプです。どうしてこのようなステレオタイプなものの見方をするようになるのかということに私は興味が湧いて来たのです。そのことが日本に関するステレオタイプなものの見方がどこで生まれたのかということを研究してみるきっかけとになりました。特に,ステレオタイプは、一般的な概念に基づいていて、文化を知るという錯覚を提供する。 私は多様性に特別な関心を持っていると感じるので、日本や日本についてのステレオタイプを聞くと、腹立ちます。これらの気持ちは私にその主題を深めるようになった。 日本についてのステレオタイプがどこでやどのように生まれたのかを深く理解しようとすると、日本人論の現象を発見しました。
*続いていると思います。
―私の興味関心と日本学研究―
キーワード: 異文化 多様性 外国語 ステレオタイプ
私の研究テーマは「ステレオタイプから日本人論にいたる、自分自身の道筋について」 です。動機文でそのテーマを選んだ理由について論じたいと思います。
子どもの頃から、私は、目新しくてそれまで知らなかったものすべてに関心を持ってきました。好奇心の強い子供だったから、ドキュメンタリー映画や異文化についてのテレビ番組が好きでした。毎回、このようなテレビ番組を見ていたら、様々な現実や文化を知ることができました。私の一番好きなテレビ番組は「Alle falde del kilimangiaro」という番組でしたが、母と一緒にみたものです。世界各地で撮影された旅行ドキュメンタリーを紹介していました。このテレビ番組のおかげで、日本語に出会えました。「Alle falde del kilimangiaro」という番組で、毎週外国語のゲームがありました。そのゲームでは、いろいろな外国語の母語話者が母語で同じセンテンスを言って、視聴者は受賞するために、どんな外国語かが理解しなくてはいけませんでした。今も、そのゲームで日本人が話していた事を鮮明に覚えています。日本語の音は優しくて甘い響きだと思いました。実は、私の外国語にある興味が中学の終わりから生まれるかもしれません。中学でフランス語と英語を勉強しました。高校を考えた時に、さまざまな種類の高校がありました。私は外国語系の高校に通いたかったのに、科学系の高校に決めてしまいました。私の町に外国語系の高校がなかったからです。科学の科目も好きだったから、結局は満足しました。英語とフランス語しか話せませんでしたが、他の外国語も調べたかったです。そのため、大学で日本語の勉強をはじめました。言語を勉強するということは、言葉や文法を暗記するだけでなく、その言語を話している人口の文化、生活、考え方、伝統について知ることを意味します。言語を勉強すれば、人々を深く理解することができます。母のおかげで、異文化に関心が強くなっていました。実際に、母は高校の地理学の先生だけあって、様々な国の特徴に詳しいです。そこで、母は私にいろいろな教えてくれて、ますます異文化の関心が強くなりました。異文化に関心を持つおかげで、異なる文化を尊重し、寛容になることを学びました。一般的に、子供の頃から私は文化の違いだけでなく、人々の違いにも興味を持っていました。例えば、そのころのクラスメートの家族と私の家族を比べると、私の家族はずいぶん違いました。4歳に、私の父がなくなてしまいました。では、私の家族は普通の家族ではありません。毎年、父の日のために、学校でプレゼントを作ったものですが、私は父にあげられません。そこで、私は兄にあげたものです。誰にもその理由で嘲笑しませんでした。でも、友達より自分が違ったと感じました。それから私は育って、強くなりました。 もちろん、自分の経験のおかげで、多様性がいかに重要か分かりました。実際に、 違いは私たちの共通の唯一のものだと思います。しかし、私たちが何かを理解していないとき、このことを形作ろうとします。たくさんの違いがあるから、複雑さを単純化しようとします。これは、ステレオタイプの生まれ方だとおもいす。日本の文化は自分とはかけ離れた世界のように感じました。だからこそ、日本のことをもっと詳しく調べたくなったのかもしれません。確かに、日本の歴史や文化や社会をイタリアのものと比べると、たくさんの違いがあると思います。しかし、一番面白いのは、まさにその違いを知ることだと思います。私の友達や日本語を学んでいる学生からは「日本人はとても特別だ」ということをよく聞きます。ほかにもイタリア人はいつも遅く来るという思い込みや、アメリカ人はいつもドーナツを食べているという先入観のようなものも聞いたことがあります。それらはステレオタイプです。どうしてこのようなステレオタイプなものの見方をするようになるのかということに私は興味が湧いて来たのです。そのことが日本に関するステレオタイプなものの見方がどこで生まれたのかということを研究してみるきっかけとになりました。特に,ステレオタイプは、一般的な概念に基づいていて、文化を知るという錯覚を提供する。 私は多様性に特別な関心を持っていると感じるので、日本や日本についてのステレオタイプを聞くと、腹立ちます。これらの気持ちは私にその主題を深めるようになった。 日本についてのステレオタイプがどこでやどのように生まれたのかを深く理解しようとすると、日本人論の現象を発見しました。
*続いていると思います。
A:
私の研究テーマは「ステレオタイプから日本人論にいたる、自分自身の道筋について」 です。動機文でそのテーマを選んだ理由について論じたいと思います。
”ステレオタイプから日本人論にいたる”が少し引っ掛かります。あなたの本意がわからないので例が示しにくいのですが、たとえば「ステレオタイプ論から日本人論」だとか「ステレオタイプな考え方から日本人論にいたる」とかならしっくりきます。
以下、添削してみました。
子どもの頃から私は、”それまで知らなかった目新しく見えるもの”すべてに関心を持ってきました。(”私は~な子供でした”の方が自然かもしれません)好奇心の強い子供だった”ので”、ドキュメンタリー映画や異文化についてのテレビ番組が好きでした。”このようなテレビ番組を見ていたので”、様々な現実や文化を知ることができました。私の一番好きなテレビ番組は「Alle falde del kilimangiaro」という番組”で”、”よく”母と一緒にみたものです。(”よく~した”という言い回しが通じやすいです)世界各地で撮影された旅行ドキュメンタリーを紹介していました。このテレビ番組のおかげで、日本語に出会えました。「Alle falde del kilimangiaro」という番組で、毎週外国語のゲーム(クイズの方がふさわしいかも)がありました。そのゲームでは、いろいろな外国語の母語話者が母語で同じセンテンスを言って、視聴者は受賞するために、どんな外国語かが理解しなくてはいけませんでした。今も、そのゲームで日本人が話していた事を鮮明に覚えています。日本語の音は優しくて甘い響きだと思いました。実は(☚不要、もしくは「実際は」?)私の外国語にある興味”は”中学時代の終わりから生まれ”たの”かもしれません(原文だと未来の出来事に思えます)。中学で”は”フランス語と英語を勉強し”ていました”。高校を考えた時に、さまざまな種類の高校がありました。私は外国語系の高校に通いたかったのに、科学系の高校に決めてしまいました。私の町に外国語系の高校がなかったからです。科学の科目も好きだったから、結局は満足しました。英語とフランス語しか話せませんでしたが、他の外国語も”学んでみたかったのです”。そのため、大学で日本語の勉強をはじめました。言語を勉強するということは、言葉や文法を暗記するだけでなく、その言語を話している人口の文化、生活、考え方、伝統について知ることを意味します。言語を勉強すれば、人々を深く理解することができます。母のおかげで、異文化に関心が強”くなったのかもしれません”。実際に、母は高校の地理学の先生だけあって、様々な国の特徴に詳しいです。””母は私にいろいろな”外国の事”を教えてくれて、ますます”私の”異文化”へ”の関心”は”強くなりました。異文化に関心を持つおかげで、異なる文化を尊重し、寛容になることを学びました。一般的に、子供の頃から私は文化の違いだけでなく、人々の違いにも興味を持っていました。例えば、そのころのクラスメートの家族と私の家族を比べると、私の家族はずいぶん違いました。”私が4歳のころ”に、私の父”は亡くなりました”。”その点で”私の家族は普通の家族ではありません。毎年、父の日のために、学校でプレゼントを作ったものですが、私は父にあげられません。そこで、私は兄にあげたものです。誰にもその理由で嘲笑しませんでした。でも、友達より自分が違ったと感じました。それから私は育って、強くなりました。 ”そのような”自分の経験のおかげで、多様性がいかに重要か分かりました。実際に、 違いは私たちの共通の唯一のものだと思います。(☚かなり難解で哲学的な意味にとれますが、「他者との違い」だけが普遍的に我々人間にある共通のもの」ということでしょうか?)しかし、私たちが何かを理解していないとき、このことを形作ろうとします。(☚”自分の心の中だけで自分が納得のいく一応の理解を形作ろうとします”などはどうですか?)たくさんの違いがあるから、複雑さを単純化しようとします。これは、ステレオタイプの生まれ方だとおもい”ます”。”私にとって”日本の文化は自分とはかけ離れた世界のように感じました。だからこそ、日本のことをもっと詳しく調べたくなったのかもしれません。確かに、日本の歴史や文化や社会をイタリアのものと比べると、たくさんの違いがあると思います。しかし、一番面白いのは、まさにその違いを知ることだと思います。私の友達や日本語を学んでいる学生からは「日本人はとても特別だ」ということをよく聞きます。ほかにもイタリア人はいつも遅く来るという思い込みや、アメリカ人はいつもドーナツを食べているという先入観のようなものも聞いたことがあります。それらはステレオタイプです。どうしてこのようなステレオタイプなものの見方をするようになるのかということに私は興味が湧いて来たのです。そのことが日本に関するステレオタイプなものの見方がどこで生まれたのかということを研究してみるきっかけとになりました。””ステレオタイプは、”(表層的な”等挟んでもいいかもしれません)一般的な概念に基づいていて、文化を知るという錯覚を提供”します”。 私は多様性に特別な関心を持っている”のでorと自負しているので”、日本や日本についてのステレオタイプを聞くと、腹”が”立ちます。これらの気持ちは私に”ステレオタイプというテーマを深く考えることを促しました。” 日本についてのステレオタイプが”どこでどのように”生まれたのかを深く理解しようとすると、日本人論の現象を発見”することになりました”。
文法的な間違いはほぼなかったです。
文章も興味深かったです:)
”ステレオタイプから日本人論にいたる”が少し引っ掛かります。あなたの本意がわからないので例が示しにくいのですが、たとえば「ステレオタイプ論から日本人論」だとか「ステレオタイプな考え方から日本人論にいたる」とかならしっくりきます。
以下、添削してみました。
子どもの頃から私は、”それまで知らなかった目新しく見えるもの”すべてに関心を持ってきました。(”私は~な子供でした”の方が自然かもしれません)好奇心の強い子供だった”ので”、ドキュメンタリー映画や異文化についてのテレビ番組が好きでした。”このようなテレビ番組を見ていたので”、様々な現実や文化を知ることができました。私の一番好きなテレビ番組は「Alle falde del kilimangiaro」という番組”で”、”よく”母と一緒にみたものです。(”よく~した”という言い回しが通じやすいです)世界各地で撮影された旅行ドキュメンタリーを紹介していました。このテレビ番組のおかげで、日本語に出会えました。「Alle falde del kilimangiaro」という番組で、毎週外国語のゲーム(クイズの方がふさわしいかも)がありました。そのゲームでは、いろいろな外国語の母語話者が母語で同じセンテンスを言って、視聴者は受賞するために、どんな外国語かが理解しなくてはいけませんでした。今も、そのゲームで日本人が話していた事を鮮明に覚えています。日本語の音は優しくて甘い響きだと思いました。実は(☚不要、もしくは「実際は」?)私の外国語にある興味”は”中学時代の終わりから生まれ”たの”かもしれません(原文だと未来の出来事に思えます)。中学で”は”フランス語と英語を勉強し”ていました”。高校を考えた時に、さまざまな種類の高校がありました。私は外国語系の高校に通いたかったのに、科学系の高校に決めてしまいました。私の町に外国語系の高校がなかったからです。科学の科目も好きだったから、結局は満足しました。英語とフランス語しか話せませんでしたが、他の外国語も”学んでみたかったのです”。そのため、大学で日本語の勉強をはじめました。言語を勉強するということは、言葉や文法を暗記するだけでなく、その言語を話している人口の文化、生活、考え方、伝統について知ることを意味します。言語を勉強すれば、人々を深く理解することができます。母のおかげで、異文化に関心が強”くなったのかもしれません”。実際に、母は高校の地理学の先生だけあって、様々な国の特徴に詳しいです。””母は私にいろいろな”外国の事”を教えてくれて、ますます”私の”異文化”へ”の関心”は”強くなりました。異文化に関心を持つおかげで、異なる文化を尊重し、寛容になることを学びました。一般的に、子供の頃から私は文化の違いだけでなく、人々の違いにも興味を持っていました。例えば、そのころのクラスメートの家族と私の家族を比べると、私の家族はずいぶん違いました。”私が4歳のころ”に、私の父”は亡くなりました”。”その点で”私の家族は普通の家族ではありません。毎年、父の日のために、学校でプレゼントを作ったものですが、私は父にあげられません。そこで、私は兄にあげたものです。誰にもその理由で嘲笑しませんでした。でも、友達より自分が違ったと感じました。それから私は育って、強くなりました。 ”そのような”自分の経験のおかげで、多様性がいかに重要か分かりました。実際に、 違いは私たちの共通の唯一のものだと思います。(☚かなり難解で哲学的な意味にとれますが、「他者との違い」だけが普遍的に我々人間にある共通のもの」ということでしょうか?)しかし、私たちが何かを理解していないとき、このことを形作ろうとします。(☚”自分の心の中だけで自分が納得のいく一応の理解を形作ろうとします”などはどうですか?)たくさんの違いがあるから、複雑さを単純化しようとします。これは、ステレオタイプの生まれ方だとおもい”ます”。”私にとって”日本の文化は自分とはかけ離れた世界のように感じました。だからこそ、日本のことをもっと詳しく調べたくなったのかもしれません。確かに、日本の歴史や文化や社会をイタリアのものと比べると、たくさんの違いがあると思います。しかし、一番面白いのは、まさにその違いを知ることだと思います。私の友達や日本語を学んでいる学生からは「日本人はとても特別だ」ということをよく聞きます。ほかにもイタリア人はいつも遅く来るという思い込みや、アメリカ人はいつもドーナツを食べているという先入観のようなものも聞いたことがあります。それらはステレオタイプです。どうしてこのようなステレオタイプなものの見方をするようになるのかということに私は興味が湧いて来たのです。そのことが日本に関するステレオタイプなものの見方がどこで生まれたのかということを研究してみるきっかけとになりました。””ステレオタイプは、”(表層的な”等挟んでもいいかもしれません)一般的な概念に基づいていて、文化を知るという錯覚を提供”します”。 私は多様性に特別な関心を持っている”のでorと自負しているので”、日本や日本についてのステレオタイプを聞くと、腹”が”立ちます。これらの気持ちは私に”ステレオタイプというテーマを深く考えることを促しました。” 日本についてのステレオタイプが”どこでどのように”生まれたのかを深く理解しようとすると、日本人論の現象を発見”することになりました”。
文法的な間違いはほぼなかったです。
文章も興味深かったです:)
Q:
多様な側面からテクストを読めばと思います=I wish I can read text )......?
A:
「多様な側面からテクストを読めればと思います」
の間違いではありませんか?
もしそうなら、
I wish I can/could read the text from different perspectives
という意味になると思います。
でも「多様な側面からテクストを読めばと思います」が正しい引用なら、少し不自然な文章に感じます。
あえて解釈すれば「読めば(?)と思います」という仮定法の省略かもしれません。
読めばわかると思います (you will understand/see)
読めばいいと思います (you should read)
などでしょうか。
前後の文脈があればもう少し推測できるかもしれません。
の間違いではありませんか?
もしそうなら、
I wish I can/could read the text from different perspectives
という意味になると思います。
でも「多様な側面からテクストを読めばと思います」が正しい引用なら、少し不自然な文章に感じます。
あえて解釈すれば「読めば(?)と思います」という仮定法の省略かもしれません。
読めばわかると思います (you will understand/see)
読めばいいと思います (you should read)
などでしょうか。
前後の文脈があればもう少し推測できるかもしれません。
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